| 演 目 映画/キング・コング 観劇日時/06.1.3 05年アメリカ映画 劇場/東京・渋谷東宝 |
| 文明批評の古典映画 70年前に創られたこの映画の第一作は衝撃的であり、その後20年経ってから日本で作られて世界を席巻し、シリーズ化された『ゴジラ』は、この『キング・コング』を下敷きにしているといわれている。 この第3回目としてリメークされた新しい『キング・コング』は、最新のCG(コンピユータ・グラフイックス)の想像以上の表現力に注目が集まっているのだが、実はこの人間と自然環境との軋轢が本当の主題であるわけだ。 『ゴジラ』のモチーフも、原子爆弾という当時の文明の、最新最悪の結果がもたらした悲劇として表現されたという主題があったのだ。だからその後シリーズ化された『ゴジラ』も、ときどき脱線しながらも底流には、その時々の文明の悪しき破壊行為を批判するという主題が隠されていたわけだ。 昭和初期のアメリカの物質文明がその第一期の頂点を極めたとき、当時の文明の一方の先端を行く映画界は、その文明の光の届かない未開の世界を求めて、一攫千金の野心を鼓舞していた。物語はそこから始まる。 文明に叩き起こされた大自然の象徴である類猿人ゴリラは、自分たちの領分に理不尽にも入り込んだ映画人たちと徹底的に戦うが、しょせん人間の文明には勝てない。生け捕りにされてニューヨークで見世物にされる。 だが、ここでこの映画はこのコングに人格を与えて、一行の女優アンに恋をさせる。彼女の方もコングの純情にほだされて、それがこの映画の『美女と野獣』というサブタイトルになって、純愛物語という側面ももっているのだが…… 最後に猛り狂ったコングは、文明の最新最高の象徴であるエンパイヤステートビルデイングの天辺に駆け上り、群がる航空機の編隊と壮絶な戦いを演じる。それはまるであの01年9月12日の、あの超高層ビルに突っ込んだ航空機の惨劇を連想させるようなシーンだ。 ラストシーンでプロデユーサーのいう「美女が野獣を殺した」という台詞は1933年のオリジナルから有名なのだそうです。それに対して主演のナオミ・ワッツは「人間の中にある獣が自然の美を殺した」と言いたいと言っている。 人間がいかに欲張りでひどいことが出来るのか、他の人間、他の生物、他の種族を滅ぼすことによって自分自身を滅ぼすそれが人間だと感じるとコメントしている。 絶海の未開の孤島の断崖の上で、コングがアンと一緒に眺める海上の朝焼けの美しさにダブって、追い詰められたビルの最上階の屋上からやはりコングがアンと眺める大都会の朝焼けの、同じような美しさの対比が印象的だ。 難をいえば、最初の孤島に出かけるまでのプロデューサーが女優探しをする部分の説明的なくどい長さ、孤島での醜悪な戦いの長さに辟易する。3時間は長すぎて飽きるのだ。 |