観劇日時/10.7.15. 10.7.29.
劇団名/ハム・プロジェクト
公演形態/北海道まちめぐり公演
作・演出/すがの公
劇場名/札幌・中央区・長栄ビル4F・ATTIC
劇場名/深川市・シャイライサイ工房
喜劇って何だろう
山奥の、携帯電話の電波も届かないようなところで廃校になった学校を利用し
て「幸せになれる笑い方」というゼミナールを開くアル中の詐欺師(=立川佳
吾)。
高い金を払ってそこに集まる、私生活に何らかの不満や問題を持つ4人の男女
(=大原慧・古崎瑛美・彦素由幸・松下綾華)。そして高給で雇った助手でア
ルバイトの女子高校生(=天野さおり)。だが彼女自身も問題高校生だったの
だ。
幸せになる方法などそう簡単にあるわけがない。だがそこに集まった、不幸だ
と思いこんでいる人たちは一種の集団ヒステリィの症状を起こす。
彼ら彼女らは、自身の私生活の不幸をそれぞれ赤裸々に説明し合うが、その姿
がマンガチックに描かれる。
アル中の詐欺師は薬物を使い、彼らの私生活を巧く利用して一儲けを企んでい
るらしい。巧く取り込められる一同……
「平成ノーマルコメディ」と銘打ちながら、かなりシリアスな物語であるが、
だからと言って本筋に無関係で瞬間的に現れる表面的な面白さ滑稽さを、いく
ら強調してもそれは「喜劇」ではないのだ。そういうただのバカ騒ぎだけの、
品格を落とすような作りでは作品の質を落とす。
「喜劇(コメディ)」とは、人間が生きていく上で様々な葛藤があり、その重
なった矛盾を何とか処理していく過程で起こり得る食い違いやぎこちなさが、
客観的にみるととても可笑しいということだと思われる。そしてそれは弱く懸
命に生きる善人にこそ現れ易い。
チエホフが、後期に発表した自作4戯曲を「喜劇」と位置付けたのに、日本で
紹介され始めたころ、その内容を人間の営みの表層的な苦しさや悩みだけを強
調して、喜劇から遠いものに表現した時代があったわけだ。
そういう人間の存在そのものが喜劇であり、無理して瞬間的で表層的な滑稽味
を強めても、それは本当の喜劇ではない。
「喜劇」は、人間の存在そのものから無意識に現れる可笑しさ、哀しさの滲み
出る光景である。
「スラップスティック」と、本来の意味の「喜劇(コメディ)」とは本質的に
違うのだ。だからと言って僕は「スラップスティック」を否定するわけではな
いのだが、この舞台が「喜劇」を標榜しているのに「スラップステイック」の
匂いを感じるから、それは違うだろうと思うのだ。
本来の意味の「喜劇」作品を創り、喜劇の時代を共有したいと思う若い人たち
が、エネルギッシュに創った力を信じたいという思いを強く感じたのであった。
話が後半に入ってアルバイトの高校生の問題になると、このゼミナールの参加
者の4人が一致して彼女の身の上を心配して自分たちのことを忘れたように激
しく動き回るという展開になってきて、それが前半の話の流れと大幅に違って
きたことに違和感がある。
その後半部分は、予定調和のハッピーエンドに収束されかねない予感が強いか
らであろうか?この話をそう簡単に収めないで欲しいという想いが湧き上がる
のだ。