寮生活の男子高校生・長嶺結月(=足達泰雅)がお正月以来の半年ぶりに無人の実家へ帰って来た。母は留守で、女の子に間違えられるような名前の結月(ユヅキ)が小学生の頃に母と再婚した血の繋がらない父親・信一(=梅津学)が、一人帰った結月のいた居間へ入って来る。お互いに遠慮半分、気使いしない気分半分の気まずい雰囲気だ。
折から豪雨がこの地方を襲っており、天然気分の母親は車で出かけたきり、途中不注意でアンダーパスの下で遭難した恐れもある。その対応を巡って伸一と結月は一触即発暴発寸前のやりとりが展開する。結月の心情が力一杯の言葉に現れる。
近所の五朗(=棚田満―Wで小林健輔もあり)と、その娘・弥子(新井田琴江)らの超善意のコミカルでエネルギッシュなお節介が、拗れた信一と結月の心情を和らげて行く。その善意に次第に頼って行く信一と結月、この二人も冷静に互いの立場を思いやって行く。
そんな時、不通になっていた母から家電(イエデン)にケータイが掛って来る。平静を装いながらも、受話器を取り合おうとする信一と結月の二人……善意の葛藤……
結月が小学生の頃、天文台の月蝕観測会に母と一緒に行ったとき、最後の質問コーナーで「もし月がなかったら、どうなるのでしょうか?」と結月が質問したら、そのとき解説員だった信一は「人類は誰も居なくなっているでしょうね」と答えたことを二人とも明確に記憶していた。改めてその時の問答を考え直す二人……
もしかして「赤く染まった月蝕の月」とは結月にとっては信一であり、「人類」とは母と結月であったのかもしれない。そしてそれは信一にとっても結月にとっても母にとっても必然の結果であったのであろうか。
この物語は、今、僕が読みかけている、よしもとばななの小説『もしもし下北沢』とその雰囲気がとても似ている気がする。もちろんシチュエーションも人間関係も全く違うのだけれども、親子の微妙な心情の関係や、それを取り巻く周囲の人たちとの交情の在り方に共感させられる何者かを感じ、今日のこの舞台は、『もしもし下北沢』の未読の後半に、強い期待を感じさせたのであった。 |